聖書は知恵の箱

以下をクリックしてみ言葉を聞いてみましょう


またキリストによって、いま私たちの立っている この恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、 神の栄光を望んで大いに喜んで います。そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。 それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。 私たちがまだ弱かったとき、キリストが定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。 情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。しかし私たちがまだ罪人であったとき、 キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。
ローマ5章2節~8節


すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびを負って、わたしから学びなさい。 そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。
マタイ11章28節~30節


あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。 神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。 むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。
コリントⅠ10章13節


私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することは ありません。 途方にくれていますが、行きづまることはありません。 迫害されていますが、見捨てられることはありません。 倒されますが、滅びません。
コリントⅡ4章8節~9節


わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。 わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。 恐れてはなりません。
ヨハネ14章27節


あなたがたは、罪人たちのこのような犯行を忍ばれた方のことを考えなさい。 それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。 あなたがたはまだ、罪と戦って、血を流すまで抵抗したことがありません。 そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。 「わが子よ。主の 懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。 主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」 訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。 父が懲らしめることをしな い子がいるでしょうか。 もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを 受けていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子ではないのです。 さらにまた、私たちには肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、 なおさらのこと、私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。 なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、 霊の父は、私たちの益の ため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。 すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、 これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。ですから、弱った手と衰えたひざとを、まっすぐにしなさい。
ヘブル12章3節~12節


何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、 あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いを キリスト・イエスにあって守ってくれます。
ピリピ4章6節~7節


いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエスは彼らにたとえを話された。 「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない 裁判官がいた。 その町に、ひとりのやもめがいたが、 彼のところにやって来ては、『私の相手をさばいて、私を守ってください。』と言っていた。 彼は、しばらくは取り合わないでいたが、後には心ひそかに『私は神を恐れず人を人とも思わないが、 どうも、このやもめは、うるさくてしかたがないから、この女のために裁判をしてやることにしよう。 でないと、ひっきりなしにやって来てうるさくてしかたがない。』と言った。」 主は言われた。 「不正な裁判官の言っていることを聞きなさい。まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、 いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。 あなたがたに言いますが、神は、すみやかに彼らのために正しいさばきをしてくださいます。 しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」
ルカ18章1節~8節


人は、死ぬとき、何一つ持って行くことができず、その栄誉も彼に従って下っては行かないのだ。
詩編49章17節


しかし、私が手がけたあらゆる事業と、そのために私が骨折った労苦とを振り返ってみると、なんと、すべてがむなしいことよ。 風を追うようなものだ。日の下には何一つ益になるものはない。
伝道者の書2章11節


良い名声は良い香油にまさり、死の日は生まれる日にまさる。 祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい。そこには、すべての人の終わりがあり、 生きている者がそれを心に留めるようになるからだ。悲しみは笑いにまさる。顔の曇りによって心は良くなる。 知恵のある者の心は喪中の家に向き、愚かな者の心は楽しみの家に向く。 知恵のある者の叱責を聞くのは、愚かな 者の歌を聞くのにまさる。
伝道者の書7章1節~5節


御子を信じる者は永遠の命を持つが、御子に聞き従わない者は、 いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。
ヨハネ3章36節


イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。 いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。
ヨハネ11章25節


あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、 朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、 神のことばによるものです。   「人は皆草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、 花は散る。しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。」とあるからです。 あなたがたに宣べ伝えられた福音のことばがこれです。
ペテロ1章23節~25節


そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。 これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、 一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。
ヘブル2章14節~15節


ところで、キリストは死者の中から復活された、と宣べ伝えられているのなら、 どうして、あなたがたの中に、死者の復活はない、と言っている人がいるのですか。 もし、死者の復活がないのなら、キリストも復活されなかったでしょう。 そして、キリストが復活されなかったのなら、私たちの宣教は実質のないものになり、 あなたがたの信仰も実質のないものになるのです。 それどころか、私たちは神について偽証をした者ということになります。 なぜなら、もしもかりに、死者の復活はないとしたら、神はキリストをよみがえらせなかったはずですが、 私たちは神がキリストをよみがえらせた、と言って神に逆らう証言をしたからです。 もし、死者がよみがえらないのなら、キリストもよみがえらなかったでしょう。 そして、もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、 あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。そうだったら、 キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのです。 もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、 私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。 しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。 というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。 すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。 しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、 次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。
コリントⅠ15章12節~23節


あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。 わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。 もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。 わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、 あなたがたをわたしのもとに迎えます。私のいる所に、あなたがたをもおらせるためです。 わたしの行く道はあなたがたも知っています。」トマスはイエスに言った。 「主よ。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。 どうして、その道が私たちにわかりましょう。」 イエスは彼に言われた。 「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。 わたしを通してでなければ、 だれひとり父のみもとに来ることはありません。
ヨハネ14章1節~6節


イエスはこれを聞いて、彼らにこう言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。 私は正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」  
マルコ2章17節


もしあなたがたが私を愛するなら、あなたがたは私の戒めを守るはずです。わたしは父にお願いします。 そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなた方にお与えになります。 その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。 その方は、真理の御霊です。世はその方を見もせず、知りもしないからです。 しかし、あなたがたはその方を知っています。 その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。
ヨハネ14章15節~18節


私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物として御子を遣わされました。 ここに愛があるのです。愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。 いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、 神の愛が私たちのうちに全うされるのです。神は私たちに御霊を与えてくださいました。それによって、私たちが神のうちにおり、 神も私たちのうちにおられることがわかります。私たちは、御父が御子を世の救い主として遣わされたのを見て、 今そのあかしをしています。だれでも、イエスを神の御子と告白するなら、神はその人のうちにおられ、その人も神のうちにいます。 私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。
ヨハネⅠ4章10節~16節


私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神がほめたたえられますように。 神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、 どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。 それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです。
コリントⅡ1章3節~5節


あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、 何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。 あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。 わたしの愛の中にとどまりなさい。もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、 あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、 わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、 わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。 わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。
ヨハネ15章7節から2節


主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。 ですから、あなたがたは、今しているとおり、互いに励ましあい、互いに徳を高めあいなさい。 兄弟たちよ。あなたがたにお願いします。あなたがたの間で苦労し、主にあってあなたがたを指導し、 訓戒している人々を認めなさい。その務めのゆえに、愛をもって深い尊敬を払いなさい。 お互いの間に平和を保ちなさい。兄弟たち。あなたがたに勧告します。 気ままな者を戒め、小心な者を励まし、弱い者を助け、すべての人に対して寛容でありなさい。れも悪をもって悪に報いないように気をつけ、お互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行なうよう務めなさい。いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
テサロニケⅠ5章10節~18節


ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」と言った。
使徒16章31節


この群集を見て、イエスは山に登り、おすわりになると、弟子たちがみもとに来た。そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて、言われた。  「心の貧しいものは幸いです。天の御国はその人のものだからです。  悲しむものは幸いです。その人は慰められるからです。  柔和なものは幸いです。その人は地を相続するからです。  義に飢え乾いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。  あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです。  心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。  平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。  義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。
マタイ5章1節~10節


イエスは目を上げて弟子たちを見つめながら、話しだされた。  「貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたのものですから。  いま飢えている者は幸いです。あなたがたは、やがて飽くことができますから。  いま泣いている者は幸いです。あなたがたは、いまに笑うようになりますから。  人の子のために、人々があなたがたを憎むとき、また、あなたがたを除名し、はずかしめ、あなたがたの名をあしざまにけなすとき、あなたがたは幸いです。 その日には、喜びなさい。おどり上がって喜びなさい。天ではあなたがたの報いは大きいからです。 彼らの先祖も、預言者たちをそのように扱ったのです。  しかし、富んでいるあなたがたは、哀れな者です。慰めを、すでに受けているからです。  いま食べ飽きているあなたがたは、哀れな者です。やがて、飢えるようになるからです。  いま笑っているあなたがたは、哀れな者です。やがて悲しみ泣くようになるからです。  みなの人にほめられるときは、あなたがたは哀れな者です。彼らの先祖は、にせ預言者たちをそのように扱ったからです。  しかし、いま聞いているあなたがたに、わたしはこう言います。あなたの敵を愛しなさい。 あなたを憎む者を善に行いなさい。あなたをのろう者を祝福しなさい。あなたを侮辱する者の ために祈りなさい。  あなたの片方の頬を打つ者には、他の頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着を拒んではいけません。  すべて求める者には与えなさい。奪い取る者からは取り戻してはいけません。 自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい。
ルカ6章20節~31節


イエスは再び群衆を呼び寄せて言われた。「みな、わたしの 言うことを聞いて、悟るようになりなさい。外側から人に入って、人を汚すことのできる物 は何もありません。人から出て来るものが、人を汚すものなのです。」  イエスが群衆を離れて、家にはいられると、弟子たちは、このたとえについて尋ねた。  イエスは言われた。 「あなたがたまで、そんなにわからないのですか。外側から人にはいって来る物は人を汚す ことができない、ということがわからないのですか。そのような物は、人の心には、はいらないで、腹にはいり、そして、かわやに出されてしまうのです。」  イエスは、このように、すべての食物をきよいとされた。  また言われた。「人から出るもの、これが、人を汚すので す。内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」
マルコ7章14節~23節


自分を義人だと自任し、他の人々を見下している者たちに 対しては、イエスはこのようなたとえ話をされた。  「ふたりの人が、祈るために宮に登った。 ひとりはパリサイ人で、もうひとりは取税人であった。  パリサイ人は、立って、心の中で こんな祈りをした。『神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者では なく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております。』  ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれ んでください。』  あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」
ルカ18章9節~14節


乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇に あっても満ち足りることを学びました。私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。  また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいこと にも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。  私は、私を強くしてくださる方によって、 どんなことでもできるのです。
ピリピ4章11節~13節


苦しみゆえの激しい試練の中にあっても、彼らの満ちあふれる 喜びは、その極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て、その惜しみなく施す富となったのです。
コリントⅡ8章2節


次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにありません。」
マルコ12章31節


キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てに なりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。  世の富を持ちながら、兄弟が困っているのを見ても、あわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょう。
ヨハネⅠ3章16節~18節


しかし、いま聞いているあなたがたに、わたしはこう言います。  あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む者に善を行ないなさい。  あなたをのろう者を祝福しな さい。あなたを侮辱する者のために祈りなさい。  あなたの片方の頬を打つ者には、ほかの頬をも 向けなさい。上着を奪い取る者には、下着も拒んではいけません。  すべて求める者には与えなさい。奪い取る者からは取り戻してはいけません。  自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのように しなさい。  自分を愛する者を愛したからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。 罪人たちでさえ、自分を愛する者を愛しています。  自分に良いことをしてくれる者に良いことをした からといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。罪人たちでさえ、同じことをしています。  返してもらうつもりで人に貸してやったからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。 貸した分を取り返すつもりなら、罪人たちでさえ、罪人たちに貸しています。  ただ、自分の敵を愛しなさい。彼らによくしてやり、返してもらうことを考えずに貸しなさい。そうすれば、あなたがたの受ける報いはすばらしく、あなたがたは、いと高き方の子どもになれます。 なぜなら、いと高き方は、恩知らずの悪人にも、あわれみ深いからです。  あなたがたの天の父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くしなさい。
ルカ6章27節~36節


神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ヨハネ3章16節